「重い障害児に導かれて」(重症児の母、北浦雅子の足跡)

 

重い障害のある子供たちの保護者が作る「全国重症心身障害児(者)を守る会」会長を務める北浦雅子さんの生き様を、著作や証言から編み上げた組紐のような一冊です。

北村さんの次男、尚(ヒサ坊)が、生後7ヶ月、種痘後脳炎により重い障害児となり、家族の歩みが始まりました。

 

北浦さん夫妻らが作った重症心身障害児()を守る会には「守る会三原則」があります。

 

〈北浦語録〉

ここにたった一人でも弱い人がいたら、それをみんなで守る。そうすればそれは1億になる。だからみんなで守ることが大事なのです。

この一番重い子供たちは世界の真ん中に置いてください。そのかわり、私たち親は社会の皆様の幸せのためにがんばりますと言う姿勢でないと、社会の共感は得られない。

親の立場を超えて重症児の立場に立ち、その命を守ろうとするときに、親の生きる権利と子供の生きる権利がどこかですり変わっていくのならば、それは子供の幸せにはつながらない。「子供の幸せを考えるとき、あくまでも親は一歩下がって謙虚でなければならない」との思いから、守る会の三原則を作った。

 

「守る会の三原則」

一、決して争ってはいけない。争いの中に弱いものの生きる場はない

一、親個人がいかなる主義主張があっても重症児運動に参加するものは党派を超えること

一、最も弱いものを、一人ももれなく守る

 

〈解説〉

    重症児は自らを主張し、あるいは訴えると言うことができない。たとえかすかな意思表示ができたとしても、周囲の人々がそれに気づいてくれなければ、黙ってすべての人に委ねなければならない。もちろん意見の交換、ディスカッションは十分に必要なことだが、自分の意思を通すために相手を傷つけてまでも自己を主張したとすれば、子供たちはさぞ悲しい思いをしていることだろう。こうした思いから、「争いの中に弱いもの生きる場はない」とした。

 

 世界には多くの方々が、おられ、多くの主義主張もある。その力を結集するためには、

  個人の主張を越えなければならない。重症児の問題は、単に子供たちの問題ではなく、

社会の全ての人間を等しく尊重していこうと言うこと。それが、守る会の願いであり精神

でもある。重症児を抱える親の会の運動は、あくまで「己れをこえた時に子供たちに実が

ある」と固く信じているからである。

 

     一番良いものを切り捨てると言うことを次は、二番目に弱いものが切り捨てられて行くと言うこと。そして、私自身がいつか年老いたり、重い病気におかされた時、切り捨てられる側に立たされてかも知れない事を意味している。

重症児を守り抜く。そこには、たゆまぬ辛抱、強い愛がなくしては守り切れない。

「重症児から教えられた思いやり、温かい心があって初めて最も弱い人々が守られ

る。」

「人間は何をやったとしても最終的には自己の人間形成の完成に近づくことが大事なことであり、そのことに生きることこそ、本当に生きるということだ」

 

 

 

重い障害のある子供の表情から「生きるとは何か」「人生の幸せとは何か」と問いかけられ、その無言の姿から様々なことを教え導かれてきました。と語っておられた。北浦さんのこれまでの人生を振り返ってみると、重い障害のある我が子を少しでも健康に、少しでも楽しく、少しでも幸せにとひたすら願い続けて、気がつくと90歳を超えていたように思える。

 

 

〈以下、抜粋〉

物事を客観的に見、おのれを捨ててことに当たるほか、道は無い

重い障害のある子供が人生の道標であった

ここに至るまでに、自ら命を断とうとした時の心境も綴られている。

「人生は生き果たすために生まれてきている、そうした天の摂理にも反する」

身体障害児の訓練に、単なる感傷的な愛情が禁物だということを深く考えさせられた。

この罪のない子に神仏はなぜこのような苦しみをお与えになるのでしょうか。

 

この子が一体何をしたと言うのですか。神も仏もありはしない。あったとしたらこんなに酷い思いを子供にだけさせるはずがない。そんな恨み言を繰り返し繰り返し言い続けていた。

そんな暗い心に、明るい窓を開けてくれたのは、福岡刑務所で教誨師をされていた古川先生からの言葉だった。

「坊やをご覧になって神仏を恨み、もだえ苦しむのは、あなた自身の心の中に問題があるのかもしれません。」

そういう考え方もあるのかと、唖然とした。

子供が発作を起こして苦しんでいるのは私の心の持ち方に問題があるなんて、こんなに子供のことを思っているのに、事実子供はこんなに苦しんでいるのに。

先生の言葉を素直に受け入れることが到底できなかった。

「痙攣によって坊やは本当の人間としての道をお母さんに教えようとしているのです」と指摘する。また、「坊やの言葉にならぬ声も、聴くものの心次第で、尊いお悟しの言葉として聞くこともできましょう。」とも言われた。

 

先生の言われる宗教の真髄はとても理解できないが、不幸な子供を通して、神様仏様は私に真の幸せを与えようとしてくださっている。だから私は、子供のどうにもならない現実の犠牲をそのまま受け止めて、家庭の中でも社会のためにもプラスになるように生かしていかなければならない。その時初めて子供は人間としての役目を立派に果たすことになる。このことは、母親としての責任であり、私たち一家の使命でもある。ふさぎ込んでいた雅子も、心の中でだんだんと気持ちを展開することができるようになっていった。

 

しかし、言葉で言えばそれだけのことでも、それを本当に信じ、ゆるぎない姿で身に付けるとなると、生易しいことではない。子供の看病を通して「なるほど、その通りだ」と一つ一つ自分自身に合点しても、またどうしようもない気持ちになって失望してしまったり、激しい感情の起伏の道であった。

それはそのまま抱いていた神仏への恨みが感謝の念へと変わっていく過程でもあった。

 

「重症ですが、うちの子供は我が家の宝です」

「障害児がいたおかげで一生懸命働いてある程度できました。家の子は福の神です」

「こうした子供を持ったお陰で、私は幸せを教えられました。子供へのお礼のつもりで、世界のために尽くさなければ」

何気なく話される方々の姿を見ながら、「この方々も簡単にこうした考え方を身に付けられたのではないだろう」と、我が身に起こった事と照らし合わせて理解した。

障害のある子がいたからこそ、親たちがそうした考えに至った。そう考えると、「障害児が立派な人づくりをした」といっても過言ではない。

 

母親の本能的な愛情と冷たい訓練を両立させる事は難しい

重症児は人の心を打つ強い力を持っていると信じるようになった。

「多くの重症児は社会の宝です。」

重症児をもった親の苦悩は、その親でなければわかりません。しかし子を思う親の純粋な気持ちと、全国から結集した善意の力で当たれば、どんな困難な道も開けていく。

 

親の憲章(親の心得)

(生き方)

一、障害児をはじめ、弱い人々をみんなで守りましょう。

一、限りなき愛を持ち続け、共にいきましょう。

一、障害のある子供を隠すことなく、わずかな成長を喜び、親自身の心を磨き

健康で明るい人生を送りましょう。

(親の務め)

一、親が健康で若い時は、子供とともに障害を克服し、親子の愛の絆を深めましょう。

一、我が子の心配だけでなく、病弱や老齢になった親には温かい思いやりを持ち、励まし合う親となりましょう。

一、この子の兄弟姉妹には、親がこの子の命を尊し、として育ててきた生き方を誇りとして生きるようにしましょう。

(施設や地域社会とのつながり)

一、施設は子供の人生を豊かにするために存在するものです。施設の職員や地域社会の人々とは、互いに立場を尊重し手を取り合って子供を守りましょう。

一、もの言えぬ子供に代わって、正しい意見の言える親になりましょう。

(親の運動)

一、親もボランティア精神を忘れず、子供に代わって奉仕する心と行動を起こしましょう。そして、誰でも住み良い社会を作るよう努力しましょう。

一、親の運動に積極的に参加しましょう。親の運動は主義や党派に左右されず、純粋に子供の命の尊さを守っていきましょう。

 

これから社会情勢はますます厳しい方向に向かい、弱い者に対する幸せが強まってくるのではないかと思われます。改めて、社会の方々と手取り合って、生きる意味を深め、生命尊厳の理念をしっかりと確立していくことが、守る会の大切な役割だと思っています。

 

この世から去っていくときに、「確かに愛し果たすことができました。私の人生は充実していました」と言い切れるようになりたいと思います。

 

北村語録

50年前、私たちは社会の役に立たない人間に国のお金は使えませんと言われ、生きているこの命を守ってください最も弱いものを切り捨てれば、その次に弱いものを切り捨てられ、結局は社会全体の幸せにはつながらないので子はないですかと訴え運動して参りました。重症児者運動は、社会の共感を得ることが最も大切なことと思っています。重症児者が真剣に生きながら、「命の大切さ」の無言のメッセージを送っていることを社会に伝えることができる親になってもらいたいと願っています。

 

 

現在、日本の障害福祉事業は「障害者総合支援法」として制度化されていますが、その内容の殆どはこの方の

具体的な取り組みがモデルとなっています。

私たちが必要としている事、創るべき事の一端をイメージできると思いますので紹介をします。

 

以下、書籍紹介引用

「障がい者がふつうに暮らすを叶えるために」

働きたい、結婚したい、施設を出たい。知的な障がいがある人がふつうに暮らすことを実現するために、

福祉制度を創り、変え続けてきた田島良昭の自伝的読み物。
武士道精神で真摯に課題に取り組む姿から「九州のドン・キホーテ」と呼ばれた40年の歩みをまとめた快活な

一冊。

 

     ・
    

今、日本で最も先駆的な取り組みをしている法人と言われる

社会福祉法人佛子園の活動の紹介です。安倍首相も見学に訪れています。

私も2回見学をしました。

 

「佛子園の歩み」は実に刺激的です。ご覧ください。

 

【内容紹介】

「親なきあと」に、障害のある子はどうなるのか。

住む場所、家事、お金など、すべての知りたいことが最新情報で網羅された1! 

「知的障害のあるお子さんがいらっしゃる親御さんにとって、自分たちがいなくなった後、面倒をみられなくなった後のお子さんの生活がどうなるのかは、大変大きな心配事です。 

でも、今はまだ自分は元気だし、将来のために何をすればいいのかもわからないしで、心配はしているけど実際の準備は何もされていない、という方が多いのではないでしょうか。今は健康でも、いつ何が起こるのかはわかりません。」(著者HPより一部抜粋)

 

・現在から将来に向けて「今できること」をするために、自身も知的障害のお子さんを持ち、全国をかけまわり多数の講演をつづける著者ならではの親身なアドバイスと最新情報が詰まっています。断片的な知識や情報を整理する事ができ、障害のある人や家族の方が不安に思っている事に対して、具体的なアドバイスをする事にも役立つ本です。